名古屋城は、天守の屋根を飾る金のシャチホコが有名です。 所在地は、愛知県名古屋市中区・北区で、日本三名城の1つです(その他は大坂城、熊本城)。伊勢音頭にも「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ」と歌われているほど、名古屋の町の象徴となっています。明治維新までの約250年間、徳川御三家の筆頭である尾張徳川家17代の居城でした。別名を金鯱城、金城ともいいます。第二次世界大戦中の昭和20年(1945)5月、名古屋空襲の際、大・小天守閣、本丸御殿はじめ建物のほとんどを焼失しました。しかし、焼失をまぬがれた三つの櫓(西北・西南・東南)、三つの門(表二之門、旧二之丸東二之門、二之丸大手二之門)と本丸御殿障壁画の大部分は、重要文化財に指定されています。
天守は慶長17年(1612年)に完成し、以来333年間、何度かの震災、大火から免れ、明治維新後の廃城の危機も切り抜けました。濃尾地震(明治24年)にも耐ましたが、昭和20年(1945年)の空襲で焼夷弾が金鯱を下ろすために設けられていた工事用足場に引っかかり、そこから引火して焼失したといわれています。その後、天守は昭和32年(1957年)から名古屋市制70周年記念事業として再建が開始されました。石垣自体に建物の重量をかけないよう配慮したため、石垣内にケーソン基礎を新設し、その上に鉄骨鉄筋コンクリート構造(SRC)造の大天守を載せる構造になった。再建大天守は五層七階、内部にはエレベータも設置されています。外観は、ほぼ忠実に再現していますが、最上層の窓は展望窓として焼失前より大きなものになっています。
金鯱は、明治4年(1871年)に政府に献納され、東京の宮内省に納められました。その後、雄鯱は国内の博覧会を巡り、雌鯱は明治6年(1873年)のウィーン万国博覧会に出品されました。金鯱が大天守に戻ったのは明治12年(1879年)2月です。また、金鯱の鱗の盗難事件は何度も発生しています。江戸時代、大凧に乗って金鯱に近づこうとした柿木金助(かきのききんすけ)の伝説は有名です。昭和20年(1945年)の空襲で焼失した金鯱の残骸は、戦後GHQに接収され、のち大蔵省に移り、昭和42年(1967年)に名古屋市に返還されました。現在の金鯱は、大阪造幣局で復元されました。一対に使用された金の重量は88kgもあります。現在、城址は名城公園になっています。
| 遺構 | 現存3櫓・1門、庭園、石垣、堀、復元天守 |
|---|---|
| 住所 | 愛知県名古屋市中区本丸1-1 |
| アクセス | 地下鉄名城線「市役所」駅から徒歩5分 |
| サイト | 名古屋城公式ホームページ http://www.nagoyajo.naka.nagoya.jp/ |
